7日ソナーサウンドに行ってきました。


今回のsonarは2年前に比べると、民主的な出演者という感じの印象です。


当日に影山氏と恵比寿駅で待ち合わせ適当にメシを食い会場へ。


あまり込んでなく22時前にしっかり入り込めた。


開始まで場内で物販を眺め、ディスクユニオンブースで物販にいそしむ松井さん(以前バイトやイベントで世話になった人です)に挨拶などをし、Tシャツなんかも買ってだらり。(松井さん、今度ゆっくり遊びましょう!!)


影山氏は、どらビデオからサインをもらったりしている笑


22時メインホールでソフトパッド 開始

de ←こんな感じのいわゆるラップトップな4人組。(当日の写真ではないです)


会場のスピーカーの鳴りがあまり良くなくせっかくのサイン波も耳に効果を与えるてくるものではなかったんです。


ですが、おそらく自作プログラミングされた映像と音色はとてもシステマティックな効果を場内に与えていて、日本のソナーらしいオープニングアクトでした。


そんなこんなしているうちに専門学校時の悪い同級生、等々力氏も会場入り。


恵比寿近所在住をいいことに、坊主にtシャツにハーパンで登場。(会場一ラフであることは疑いもない)


前にあったのが、スコット・ヘレンとバトルズが来日したときだから1年前くらいでしょうか?


音楽での繋がりは大切ですね。


さて


そんなこんなしている内にサブホールのほうで、今回、個人的に一番注目していたoptrum 開始です。


半年まえくらいにheadzからリリースしていたので、cdを購入。ヤバイ音だなーとはおもっていたんですが、それが、ドラムと蛍光灯だけによるものだから驚きです。


fgf ←光っているのが蛍光灯。(ここからディストーションギターのごとき音が流れます。)


ほんとしっかり演奏するんですね。蛍光灯を。


かなりヤラレマス。


ライブはビジュアル先行でみるところがあるので、満足いく内容だったんですが、蛍光灯をあまりにうまく操り、音を奏でるので、音色だけ聴くと、もしかしたら聴いたときのあるタイプの音なんですね。実験的な人達なのは疑いないですから、今後もおもしろいことをしてくれそうで目が離せません。


メインホールではdj baku が始まっています。(5年前僕は彼の追っかけみたいな感じでイベントに行っていました笑)


大舞台にbakuが立っている姿をみて、彼の5年の結果を感じさせられました次第です。(突き通した結果ですね)


3年くらい前に彼のプレイスタイルに飽きて、実はあまり注目してもなく見ていたんですが、3分後にはヤラレテイマシタ笑


出す音がストイックになっていて厚みがましているのと、3台のターンテーブル、2台のミキサー、数知れず、エフェクターの使い方がかなりうまくなっているんです。


テクから音からすべて進化していて、見たことのないプレイを見ました。

cc ←買う気のなかったcdをかってみようと思います。


そのままメインホールはdj krush


いつも見るたびにいくつになったのだろうと、関心させられます。

名前は誰でも知っているんだろうけど、結構無視されているようにも思うんです。


親父の音楽なのは確かだけれど、彼は古典ではないのは確かです。。若手よりも行動的で実験的。

養ったものをかくしているようにもおもえるんです。


今回も硬質なロービートで攻めてくるのは疑いもなかったんですが、ブレイクコア以降のドラムンベースみたいなつくりの音を多様していたため、踊り狂う人間がでるほど笑


あんなロービートで人を踊らせまくるdjって希有だ、それも40歳を超えて・・・。


krushで場内はかなり温まる。ジャンキーもたくさんいる様子だ。


ここで前回のベストアクト、tucker

xx

03年のフジロック出演から一気に注目を集めるのは、彼のライブを体験したら納得のいくことです。


自分は初めてみたのは2年前。


エレクトーンを燃やして、ダイブする人がいると聞き見たのが最初です。

そのとき確かに彼はエレクトーンに火をつけて、会場にダイブに、裸でマイクをもち、のたうち回っていたんです。


それからは一度彼を見た人と同様に虜なわけです。


派手な行動がそうさせるのではなく、彼の親近感、時折みせる心地のいい音。なによりかなりがんばっていること。嫌いな人はいないんじゃないかなーと。無視できない要素だらけです。テキーラ!!


tuckerに続いて登場、afra&インクレジブルビートボックスバンド

cs ←いいともにでるafra。おそわるタモリ。


始めてみるafraのショーは疑いもなくオリジナルで、半端ない日本人のレベルにニコニコ。

でもサブステージのriow arai+dj ductを見とけばよかったかな・・・・と。


メインホールでde la soul が開始。

ee


今回一番の大物にして、場違い。


とおもっていたんですが、メインホール本日一番の盛り上がり・・・・ナゼ・・・。こんなにde la soulファンが来ているのか。


5分くらい「de la soulがde la soulであった」ことを確認して、退散。


サブステージでdoravideo (どらビデオ)。

とくに知らなかったんですが、どうもヒッカカリのある名前と容姿なのはたしかで、みてみました。

dd

名前の通り、ドラムとvideoで構成されたライブ。

見たとたんニンマリです。


影山氏がドラビデオのことを知らずにビジュアルだけで買ったdvdがドラえもんのパクリであったことや、そのdvdがフィギュアのおまけだったりすることが、すべて繋がる内容。


藤子先生オマージュどころの話ではなく、無法律な人だ。


以下、web上で見つけた記事。


「どこかの会社の社員達が工場見学旅行に行った際に撮ったホームビデオを加工した映像、旅館での宴会で太った中年コンパニオンガールを押し倒して抱きつくオッサンたちの映像、赤穂浪士の殿中シーンのネタ、女子十二楽坊、マツケンサンバ、皇室、米国での公演用に作ったというブッシュと北朝鮮のマスゲームやパレードシーンをコラージュしたマイケル・ムーアを超えたメッセージ映像『ブッシュでブッシュ』などヤヴァ過ぎるネタを限度も知らずに惜し気もなく映像として披露。昨年7月発売されたDVD「ドラびでお第一集」は著作権侵害、名誉毀損、猥褻物陳列罪等のDVDで考えられる法律すべてパーフェクトに触れギネス級の違反物と賞され発売直前に絶版。」

今回のライブでは絶版となった映像を使っていた模様。


映像の編集物にあわせてドラムを叩いているんだろうとおもっていたんですが、どうやら、ドラムが映像のコントローラーになっているようですね。

バスドラムで再生。

スネアで逆再生。

スモールタムで2倍速再生。

みたいな感じだそうです。


すこし疲れるライブでしたね笑


どらビデオは本名?一楽儀光というらしいですが、もともとインプロ周辺の人で、大友良英と組んでたりなんかしたみたいですね。(大友さんのground zeroとか)

一楽儀光は音響やらインプロやら、いろいろやりながらなやんでいたようで、このドラビデオプロジェクトで初めて、自分が表現できた様子なんです。

大友さんの過去のブログに書いていました。「やっと彼らしいものを見つけられたようでよかった」と。

一楽儀光についてはなにも知りませんが、ドラビデオが成立するまでに苦悩があったことは確かなようで、安心しました。



その後メインホールに戻りdj kentaro 。世界一のターンテーブリストは始め15分かなり調子がよかったものの、後半は少し飽きる。

「うまい」の一言です。


メインホール最後のdiplo が期待はずれで、早朝5時前にはクタクタで会場を3人ででる。


恵比寿のウエンディーズで(3人の母校がある近くなのでノスタルジックをおぼえる)少し話し7時には解散。


個人的にその後予定があったので、家に帰るり寝ることが許されず、結果的には山の手線で睡眠。1周の間寝る。


なんにしろいい週末です。












明日から3日間、sonarsound

結構待ちましたね。


sonarからの最新のニュースは、残念なお知らせ。

de la soulのdjメイスが肝臓疾患により来日できないということ。


代理のdjを参加させde la soulとしては、出演です。


こうゆうビックイベントに限らず、海外からアーティストが毎日のように何人も来日するわけですが、こうゆう不幸はつきものです。

2年前のsonarも誰だっかかが親族の不幸で来日できず・・・・みたいなことがあったのを思い出します。





さっきからsonar初日のタイムテーブル を眺めています。


bakuとkrushにoptrumとdel paroを重ねてくるとは・・・。

悩んでいるのはそこの時間帯の重なりだけです。


今回sonarの中でも1番体験しておきたいoptrumの紹介を添付。


「Anomaly Hard core Punk型アプローチによる進 揚一郎の Drumsと、蛍光灯の発光に伴う放電ノイズをアンプリファイして出力する伊東 篤宏の視覚付き自作音響装置 “OPTRON” による、前人未踏のUltra High Tensional Whirr Extreme Optical Noise Core Band. 2003年の結成以来、その活動は様々なタイプのサウンド・アーティストとの共演やコンテンポラリーダンサーとのコラボレーションまで、所謂NOISE music や Hard Core Punk music の枠だけに納まらない。2006年6月に1st album 「recorded」(UNKNOWNMIX 1 / HEADZ)をリリース。また同時期にヨーロッパツアーを敢行し、メロディ楽器を使用せず、目と耳に優しく無い唯一無二のライヴを披露。Sonar2006 等ヨーロッパ各国のオーディエンスのド肝を抜いた。 」


蛍光灯を使用した音楽は実験系の人等にやられてはいるんですが、ここまで形に持っていった人は知りません。

日本人であるのがうれしいというか、どうも日本的に思えます。

すこしアニメーション的なライブをするんです。

暗がりのなか蛍光灯をあやつり、放電のノイズが身体の動きと共に出力される。

とても、直接的な同期です。

映像に音を合わせるとかゆう次元とは別の同期作業ですね。

とても動物的な音楽です。


放電ノイズはどんな音を飛ばしてくるか、彼らのcdを聴いているとライブでは耳がやられるんではないかと想像してしまいます。

とても楽しみです。





今日は誕生日でした。

電話やメールで久しぶりの人なんかとやり取りしていると、うれしくなるのは当然です。


感謝です。



こうして何かを書いたり、こと自分にとっては音をつくったり、

いわゆる表現行為というものは、大きく2つに分けて、自己へ向かうタイプと外面へ向かうタイプがあるように思います。

(ここでは無意識的なものは含まないことにしますね。無意識を懸念するわけではなく、無意識は自身とは別の場所にあることがほとんどなので)


個人の表現行為(それこそ生存すら)は、何も哲学することや、研究すること、創造すること、要するに頭使っていること自体にそれがあるわけでもなくて、無気力ですら表現行為として成立しますね。


表現行為に取り組んでいる時というのは、外へ向ける場合でも、一度自己の内面で整理されている場合がほとんどです。

自己(個人)の内面というものは、大雑把に言ってしまえば、


「たいしたことない」


これにつきます。


個人が収集できる情報量や、影響、時間は限られたものです。(意識状態では)


個人が哲学や思想を持つことすら限られたものです。


一つの哲学が時間とともに広まり、コピーされ、類似哲学ができる。

個人が生んだ、創造物は人にわたると、わたった人のものになる。


同じ言葉でも、捕らえ方はまったく別のものですからね。


反対に哲学(創造物)を内面に持つ。

こうゆう手段をとる人もいるでしょう。


収集物にフィルターをかける。


たしか、浅田彰 だったとおもうのですが、彼の部屋ではテレビがいつもついているようで、たまたま、くだらない番組が放送されている場面に遭遇した知人が意外性を感じて(浅田氏がくだらない番組を注視していることに)聞いてみると、

「素材はなんでもいい」

という答えが返ってきたそうです。


これを浅田フィルターといいます。(いいません)(すいません)


外部からinputされたものを自在に変換する。

難しいことではないですね。

皆一様にやっていることです。

ひっそり自己のなかでそれに対して答えを出している。



何がいいたいかというと、自分自身そうゆう外的表現や内的表現に向かう作業にとても意味を感じれなくて(ここで意味とはなんだ?とかいう質問にあいそうですが・・・)、いつも白紙でいたいのではないかとおもったわけです。


たとえていうならばgoogleの検索バーのようなことでいいのではないかと思うんです。


なにか情報をいれて出てくるものは、定石であり、間違いであり、無責任であったり(無責任とは、たとえば、「ブラジル大統領」と検索した際「秋田こけし」が検索されてしまうような状態)でいいなと。


取り入れてだす。


人間の身体は大概そうやってできています。


食って出す。

吸って吐く。

射れて出す。(男性のみですね)


上記の行為はそれぞれ蓄積されるものもあります。

養分

組織

子供


その蓄積されることに意味を感じるから行うのがほとんどですね。

ただ蓄積に哲学はありません。

それは結果です。

結果はすべて同じだということです。


哲学があるのは主にinputする際ですね。

outputに哲学する人間は、少数派のようにも思います。


どう何をinputしても結果は同じ。(なにを食っても同じといいたいわけではありません)



少し狭いところにたどり着きそうなので終了します。


さっき蕎麦を食いました。






先日菊池成孔 さんのサイトの速報内でペンギン音楽学校の締め切りがまじかなのを見て、これは受けてみようと試しにメールを送ってみた。


じつは1ヶ月前くらいにペン大入学案内についての記事が成ちゃんのサイト載せられていたようで、私はそれを観ずにメールした形となった。


「ペン大の理論科の入学案内をください」みたいな感じのメールを事細かに長々と書いて送ると、今日の昼に返答が帰ってきた。


以下文書。


「菊地でございます。えーと、すみません。ペン大では理論科の外部募集を行っておりません。外部からはサックス科のみ。とな  ります。
 詳しくは「速報」8/29「ペン大/美学校」をお読みください。

 理論科の外部募集は、アテネスランセの「音楽美学校」のみとなります。すみませーん。 」


という感じの返信である。


まさか本人からからメールが来るとは・・・・・。しかも最後は「すみませーん」である。

すまないなんてこれっぽっちもおもわせない「すみませーん」。

もうメロメロである。


わざわざメールをいただき、アテネフランセ のほうを紹介されたので、こちらに案内をいただくことにした。


もちろん今はパビリオン山椒魚のサントラを聴いているわけです。





midiコントローラー検討中。

remoto sl である。


ハードディスクが一度破損し、修理に出され帰ってきてから2ヶ月ほど経つ白いノートpc。

修理期間中に新規購入した、デスクトップにcubase、live5、reason2.0なんかをインストールして使用していた為、ノートpcはほとんどほったらかしである。


いまだに電源をいれると、強い熱を持つノートpc(cpuとhdがデスクトップ用のものを無理やり積んでいるため・・・・)はこれから季節にはもってこいではないのだろうか。

「冬限定ノート」である。


cubaseもliveもreasonもどれもこれも、製品の得意とする機能を使っていない。

断片的にいい加減な使い方をしているわけです。


ここでかわいそうなのが、reasonとlive。

リアルタイム性を重視したソフトにも関わらず、自分の使い方では、とても静的な使い方をされている。

作り込んで、cubaseに書き出すといった作業である。


そんな作業ばかりやっているのだが、もうそれもこないだ長い憂鬱な曲ができて、もう嫌だとなったわけです。





気楽になろうと。





そんなわけでノートを持って外へ出ようと言う計画です。

家で機材に囲まれる憧れはどこへやら、機材なんてpcに全部いれてしまいたいくらいです。(エレピはいつかほしいけど。)


そこで必須になるのがmidiコントローラー。

midiなんて・・・・なんて・・・・と思っていても自分のスタイルからは切っても切れない関係。というかまだ関係すらもっていない。


そんなmidiと遊びの関係を築くべく、安易なmidiコンをさがしているわけです。



remoto sl

cubase sx/sl3、live5、reason3、logic7に関してはautomap対応。

勝手にスライダーやらボタンやらを認識してくれるわけです。


midi設定なんて・・・・なんて・・・・な自分にはとてもいい機能。

ここで問題なのが自宅のcubaseが1.0な事と、reasonが2.0なこと。

automap対応は最近6がでたというlive5のみである。

こんなことの為にアップグレードするのかとおもうと、腰が重くなる一方なのです。


単体でlive5を使いこなす・・・・・。

ふつうそうするはずですが、実はあのソフトあまり気にいっておらず、どちらかというとreasonばかり使っているのです。


reasonは違法の貰い物なので、ネット登録しておらず、おそらくアップグレードも間々ならないのです。


そんなときにremote slとreasonのバンドル版 なんてものもある。

高いけど安い。

そんなバンドルである。

remote slが鍵盤つきなら文句も減るものも、どうもうまい具合に事が進まない。

時代遅れはこれだから大変だ。











vr

岩井俊雄がyamahaとおもしろいものを作っていいるようです。

TENORI-ON


上の写真のように、LEDパネルでできているようです。パネルを押すと、光が広がり音も広がったり、長時間押すと、リピートしたり、ある程度ルールがもうけられているようなので、楽しく使えそうな楽器です。

現在はプロトタイプができあがっているようで、それによると本体にスピーカー内蔵のようです。

楽器(機材)がそうゆう利用で単体機になるのはさみしいことですけど。


おそらくオーディオアウトくらいついてるんだろうとは思うのですが。


子供のおもちゃとしてとても良さそうなので、内臓スピーカーにして単体でどこにでも運べることも重要ですね。


岩井俊雄らしく、もちろんTENORI-ON同士での、リンクやコントロールも考えているようで、ようはそこを開発している最中のようです。

これにはMIDIは使われないでしょうね。

LANかOSCでしょう。

音楽制御信号としてOSCは普及されると思っていたんですが、あまり大きな動きはないようですね。

1年(2年?)前くらいにJAZZMUTANT が出していたコントローラー以降、なにも耳にしていないです。


昨日もかいた通り、機材配置換えの際、一番問題となるのはMIDIの設定で、自分はあまりにも嫌いなので、ほったらかしにしるがゆえに、オーディオ信号中心のシーケンスになるのですが、やはりライブを見据えたりなんかして同期信号を無視していると、手が縛られてしまうんですね。

手がたりない、限られてくる、一見同期信号は安易にみえて嫌悪しているのですが、納得のいく使い方を見つけてあげるのがテクノロジーに対する返答にもなるかもしれません。


同期させといて、ケーブルを切ってみる。とかいうやり方もありますしね。


TENORI-ONの話でしたね。

個人的にデザインは好きではありません。

YAMAHAのスタイルも嫌いなのですが。(音楽教室は別)


結局、「画面」や「パネル」からは抜けきれていない。

球体でもいいし、円錐でもいいはずである。


世界中の楽器(木でも管でも)の形は大抵イカれているのに(ホルンとか)、機材はどうしても四角形です。

音がでれば、なんだっていいのに。





今、家の音楽機材やらソフトシンセらの設定を大幅に変更していました。

インターフェイスがもう一つあればおもしろいことに気がついたので、明日みてきます。


ひとり楽しくなっているので今日はここまで。

一日のコピーの連続の3日間が続いています。

南博のelegyを聴いてばかりです。


静かな音に動揺さえ覚えます。


なんどリピートしても、1曲目がどれかすらわかりません。


「最近なに聴いてるの?」1週間で2回この質問を受けました。

好きな音楽が短期的に変わるため、よく受ける質問です。

それでも音楽が好きなのですからね。


なにを聴いているか。

聴くをいう方法を確立したのはいつのことか、それこそ5年前ではないか。


その方法に従って、なにを聴いているか考えると、なにもきいていないと言うしかないのです。


ただ身近に音楽が流れているのは確かなのですが。


さんざん、効果や手法を聴いたあげく、飽き飽きしている自分がいる。


効果や手法なんて感じさせてはおもしろくない。


プリセットなものでしかない。


曲が作れない。


作曲の方法を知らないまま、5、6年もやっているが、それこそ、手を止めるのは自分自身だ。


思考や、インプロでさえ、すべて無意味とおもえる。


やる必要性がない。


継続なんて嫌いだ。


煮詰まったものは時間で表されるものでも、量であらわされるものでもない。


自分の煮詰まりなんて1音にも満たない。


そんな断片を集合させることで、連続ができる。


それもあれもあなじことだ。


少し、正直になろう。


とおもう。


dj shadowについて。


高校の時、フューチュラのジャケにひかれて買い、その後に多大なる音楽思考的影響をあたえたUNKLEのサイエンスフィクションでdj shadowをはじめて意識する。

unkleについて書いているとかなりの入れ込みようだったため永遠話は尽きないので、少々。


もとはジェームス・ラベルのソロからのスタートだったけれども、ほぼshadowとの競作といった形。

サイエンスフィクションには、レディオのトム・ヨーク、ヴァーブのリチャードなんかも参加していて勝手なアルバムという印象。


サイエンスフィクションの話をしたいわけではないのです。(あまりに好きなのでつい・・・・)


unkleとほぼ平行するようにshadowがmo.waxよりendtroducing...をリリース。


自分は混乱していました。なんだこれはと。


いまでもよく聴いています。レコードなど4枚同じものがあります。


いまだに引きずっている音楽はあの辺の音だけでしょうか。

家のレコード棚はどんどん腐ってきている。入れ替えていかないと、音楽以下のものが大半だ。


なぜshadowのことをいまさら書いているかというと、アルバムがでているからですね。

the outsider


前回のプライベートプレスの時から、感ずいてはいたんだけれど、endtroducing...が好きなだけで、shadowの音楽性は理解しがたい。

the outsiderに限っていえば、駄作です。


dj shadowについて言いたかったのはそれだけです笑



9/29発売。 THE AMBIENT DRIVER / 細野晴臣


95年から2006年に何冊かの雑誌に寄せていたものの編集本です。


ちなみにGYAO で細野さん観れます。


細野さんの東京シャイネス。

細野さん歌っているとき時あえて低音を抑えているんだろうか?

それともマイクの選定か?

なんにしろ、ボンボンとなる声の印象はあまり前面にだしていないのが印象的。


歳のせいかともおもったが間にはいるインタビューでの声はあまりにもボンボンいっているのです。


わからない人だ。


みながら書いているので集中できず、終了。